何故、唄うのか?何故、音楽があるのか?生きるその過程で
何故?
過去に、元々は苦手で嫌いだった唄う事を自分は選んだんだろう。
この事に関しては、ずっと考え続け答えが出ては違い、また、新たな答えが出ては違い、その繰り返しを自分は続けていました。
何故?
私自身が唄う事が嫌いになったか、
ただただ「音痴」で人前で「唄う」意味が分からなかったからです。
中学生時代は、友達などにカラオケを誘われても断り続けていました、断り切れずにカラオケに行っても歌わずに皆の歌をジュースを飲みながらただただ聴いてたタイプの少年でした。
そして、そんな少年だった自分が自ら好んでギターを弾き、路上やライブハウス等で唄っていることに自分自身でも未だに不思議に想う時があります。
あれだけ「嫌い」だったものが、今では、「大好き」に変わってしまいました。
と、言っても、これだけ好きになるにも今まで困難や挫折しかけた事もいくつかありました。
それでも、未だに飽きずにやれている事を見つけられた事にまずは感謝しています。
何故、飽きないのか?
「音楽」に関しては、何が正解で何が不正解がないからだと私自身は考えています。
理論的な話になると違う話になりますが、今回はさておき。
「音楽」には、色んなジャンル、楽器、歌など無限に広がる可能性があると思います。
人によっては好き嫌いはあるかもしれませんが。
「音楽」は表現方法の1つだと思います。
私も、この「音楽」について、ずっと考えてきましたが、
私の答えは「自分の生きる存在証明(生きる糧)」なのかもしれません。
こういう話をするとイタズラにこんな問を投げかける人がいます、「じゃあ、音楽ができなくなり、ギターも弾ける腕も事故で失ったら?それでも「音楽」や「ギター」が好きと言えるか?」
大丈夫です。その問に関しては、2012年に
答えは出ています。
『生きているだけで幸せです。』
テクニックや上手いなどは、テーブルマナーや基本に過ぎず、
「音楽」は「人格的 理論」が親密に関係してくると私自身は考えています。
最後まで記事を読んで頂き、ありがとうございます。